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ARTICLESLGBTQ+やジェンダーレス関係の記事をお届け!

今回は、「1人のマイノリティを知っただけで、マイノリティ全体を語ることの危険性」についてお話ししたいと思います。結論を先に言うと、「マイノリティ全体を語るためには、多くの方々と深く話をすること」が重要だと考えます。

代表的な理由を2つ挙げて説明したいと思います。

 

1つ目は、「全ての人間には個人の側面と所属集団の側面があるから」です。

私の個人の側面は、私の人格そのものです。私の思想や志向は、私が人生を通して作り上げてきた私だけの個性です。加えて、私には所属集団の側面もあります。分かり易い例で言うと、日本人であり、大学生であり、LGBTQです。私に限らず全ての人々は、所属集団において「マジョリティの側面」と「マイノリティの側面」を併せ持っているのです。

 

ここで質問です。

1人のマイノリティと出会ってあなたが受けた印象は、彼女や彼のどの側面が生み出したものなのでしょうか?

 

これを瞬時に識別することは困難ですし、いくら時間をかけても分からない場合もあります。

より具体的な例を挙げると、マイノリティが憲法で保障されるべき権利を主張する訴訟を起こした場合、「マイノリティは権利の主張ばかりしている」と安易に批判する人がいます。
これは正しい意見なのでしょうか?マイノリティだから訴訟を起こしたのか、個人の人格として権利意識や正義感が強いから訴訟を起こしたのか、これを識別することは事実上不可能です。

よって、「1つの事象からマイノリティ全体を安易に判断することが危険であること」は明白です。

 

2つ目は、「マジョリティの中には、心の中にあるフィルターを通してマイノリティを見ていることもあるから」です。

フィルターは社会通念に基づき形成されたものが多いと私は思います。マジョリティの中にはマイノリティを「可哀そうだ」と感じる人や、「助けてあげるべき対象だ」と思う人もいます。しかしこれはマジョリティ視点の勝手なフィルターになりうることでもあり、マイノリティは哀れみよりも「対等の尊厳や自立」を求めていることもあります。たった一人のマイノリティとの会話では、マジョリティである自分のフィルターの存在に気付かないことが多いのではないかと思います。それに気づくために心の中のフィルターを取り除くことは思いのほか難しく、取り除くことができないと、マイノリティの意見をまっすぐに汲み取ることも、理解を深めることもできないのです。

 

以上の通り、マイノリティを語るためには多くのマイノリティの方々と深く話をすることが重要です。しかし、この基本的な行動原則が社会全般で不足しており、結果的にマイノリティへの偏見や批判的な対応への解消が進まない原因の1つになっていると考えます。

このような視点を多くの人に広げていくことが非常に大切と思っています。